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国立環境研究所への想いあれこれ

論評

浜田 康敬

 研究者でもない私が,国立環境研究所についての論評などを書かしてもらうのは大変おこがましい気がしている。しかし,理事の二期目半ばにして退任を余儀なくされ,遣り残したことがあるという想いから,主任研究企画官時代も含めた自己総括のつもりで本稿を書かせていただくことにした次第である。

 昭和63年(1988年)7月,国立公害研究所の主任研究企画官として着任したのが当研究所と私との最初の出会いである。当時は,研究所予算の減少,地球環境研究への対応,技術系職員の研究職への移行等の問題を抱えていて,特に中堅・若手の職員の間に閉塞感が感じられる状況であった。こうした状況を実際に知るにつけ,地球環境研究の部門を付け足すような小手先の改組ではなく,茅レポートの精神に立脚しつつ将来を見据えた全面的な組織改革が不可欠ではないかと私自身も思うようになった。その後,研究所を挙げた議論の末,文字どおり「国立公害研究所」から「国立環境研究所」への画期的な転換が行われたことは周知のところである。

 主任研究企画官の職を2年で辞することになり,国立環境研究所としての活動には参画できなかったので,組織改革が研究所にどのような効果をもたらすことになったのかと気になっていた。平成13年の独立行政法人化に際して理事に就任することになり,期せずして13年ぶりの研究所の実情に接することとなった。

 理事着任の頃の印象を組織改革の頃と比較して率直にいわせてもらうと,第一に,かつて中堅・若手層だった研究者が押しも押されもしない我が国を代表する環境研究者として活躍していることが大変頼もしく思えたことである。そのためであろうか,環境省の各部局が何かにつけ研究所を頼りにするようになっていて,行政とのつながりがはるかに強くなっている。かつては行政とは一線を画すのが当たり前という風潮が強かったことから見ると,まさに隔世の感がある。これにはいろいろ評価もあるだろうが,少なくとも私には好ましい変化に思われた。

 第二には,地球環境研究への急激なシフトである。四苦八苦して総合研究部門に地球環境研究グループを組織し,特別研究費と環境省と協力して創設した地球環境研究総合推進費という少ない研究予算でスタートした頃は,地球環境研究は「苦労が多くて割が悪い」というボヤキ声もよく聞かれる程であった。それが,約10年の間に大きく様変わりしており,新興の廃棄物研究分野はさておき水質や大気など地域的な環境問題を研究している研究者が数少なくなっている。やはり,環境省を中心として地球環境研究予算が大きく膨らんだことがその要因だろうが,これで良いのかという思いがぬぐいきれなかった。

 第三には,かつての改革の柱であった総合研究部門と基盤研究部門の役割分担を明確にするという面が極めてあいまいになってしまっていることがある。一つには,総合研究部門に地球・地域のグループという核組織がなくなって基盤研究との境が薄くなったという問題もあろう。しかし,それ以上に大きな要因になっているのは,プロジェクト研究的な地球環境研究の予算の大幅な拡大とリーダークラスの人事配置の問題であるように感じられた。そもそも「総合」と「基礎」とに所内での研究の役割を分けることに不自然さがあったのだろうかとも思われるが,これについてはさらに後述したい。

 理事に着任してからの一年余はアッという間に過ぎてしまった感がある。独立行政法人へ円滑に移行するために様々な問題を解決しなければならず,研究所運営のあり方についてじっくりと議論する暇も無かったような気がする。しかし,そういう中で自分なりに考え,折に触れて所内での議論を深めながら運営の改善をして行きたいと思う点が幾つかあった。

 まず,「独法になって変わらなければならないもの」は何かということであった。独立行政法人は,組織の改廃や運営費交付金の使用などの面で国立研究機関の時代に比べて圧倒的に自由度が高い。その利点を最大限生かすようにすることが独法として是非とも変わらなければならないことであろう。地球環境研究等に関して相当額の研究費が外部から確保できる条件に恵まれた国環研としては,運営費交付金はできる限り研究所のポテンシャルの強化や将来を見通した投資に振り向けるべきだろうと考えた。例えば研究施設・設備の充実,若手研究者の確保・養成,萌芽的研究の奨励などのための予算配分を重視する必要を感じた。

 また,独法になっても「国環研として変えてはならないもの」,言い換えると「これまでの伝統の上に立って堅持・拡充すべきもの」は何かを再認識することも運営上の大事な視点であると考えていた。まず,我が国環境研究の中核機関として,設立以来培ってきた国際的にも引けを取らない研究水準を確保して行くことが重要なことはいうまでもない。現状ではこの点への懸念を持つ必要は全くないように思われたが,次代を背負う研究者層の覇気にやや不安を持ったというのが正直なところである。

 一方,国立大学の独法化が進む中で,大学にはない良い面を積極的に醸成して行くことが国立環境研究所の浮沈にかかる重要な点ではないかと思った。まず,理学,工学,医学,経済学など多様なバックグラウンドを有する一流の研究者が日常的に接触して刺激し合いながら活動をしているという「総合性」は,大学では決して得られない研究条件である。特に環境研究においてはこうした総合性が求められることから,それを駆使した分野横断的な研究成果を産み出し続けることが国環研の存在意義を示す重要な鍵になると思われる。

 また,研究の「継続性」も大学と比べて優位な立場にある重要なポイントではないだろうか。近年の環境研究においては,研究や観測を長期間にわたって継続していく重要性が益々高まっている。大学とは違って,組織的な活動を主体とする研究所だからこそできる継続的な研究・観測を遂行するために,長期的視点に立った研究資源の投入を心掛けるべきであろう。

 最後に,十数年前の組織改革の柱であった総合研究部門と基盤研究部門を分ける理念の問題について付言させていただきたい。研究者個人の志向として,プロジェクト研究であるか基盤的研究であるかにかかわりなく,研究費の確保を優先しようとするのは当然であろう。しかし,研究所として,科学者としての力量を磨けるように,良き指導者のもとで基盤的研究にもじっくり取組める機会と場所を提供することは,高い研究水準を確保して行くうえで不可欠だと考えるのは的外れだろうか。

 以上が理事就任中に国立環境研究所の運営について自問自答しながらあれこれ考えてきたことである。各種の制約がある独立行政法人として実施するには困難を伴うことばかりだと承知しつつも,責務を全うできなかった反省も込めて独りよがりな想いを書き綴ってみた。どうか研究所の発展を願う気持に免じてお許しいただきたい。

 国立環境研究所の二度にわたる大きな変革期の運営に参画でき,研究所内外の多くの方々に支えていただいて,及ばずながらもやりがいのある仕事ができたことを心から感謝申し上げたい。

(はまだ やすたか)

執筆者プロフィール:

1944年生まれ。東京大学工学部卒業後厚生省に入省し,厚生省・環境庁でいろいろな行政分野を経験。1988年に国立公害研究所の主任研究企画官に就任し,井上元(現地球環境研究センター統括研究管理官)・渡邉信(現生物圏環境研究領域長)両研究企画官らと協力して組織改革を遂行。1999年に厚生省水道環境部長を退官。2001年4月から2年3ヵ月にわたり(独)国立環境研究所理事に就任。現職は(財)産業廃棄物処理事業振興財団専務理事。