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湖・池・沼の生物多様性の保全に必要な環境とは?

シリーズ重点特別研究プロジェクト:「生物多様性の減少機構の解明と保全研究プロジェクト」から

高村 典子

 地球に生命が誕生したのが30億年前。その後,生命は地球環境と相互に密接な関係を保ちながら共に変化してきた。現在の地球環境は,気の遠くなるような長い時間を経て繋がってきた生命の総体により創出され保たれている。地球上には数千万の生物種がいると言われている。これらが,光合成,分解,無機化などの生態系プロセスを通して動かす物質の量は1年間に数千億トンと試算されている。生態系プロセスを動かす主体は生物であり,生態系に多様な生き物が存在することが,あたかも,触媒のように生物地球化学反応を促進していくのではないだろうか。

 一方,近年の人間活動は1時間に3生物種を絶滅させていると試算され,先例がないほど急速である。この急激な生物多様性の喪失は,一体我々に何をもたらすのか?人類はまだこれに対する答えも持ちあわせていない。しかし,人間社会は地球上の生命が生態系プロセスを通じて生み出す「生態系サービス」(7ページからの記事参照)なくしては存続することはできない。この5年の間に,生態学者は生物の多様性が生態系機能の働きと生態系の安定性に深く関与しているのではないかと考えるようになっている。

 生命の源である水,その水の流れに沿って成り立っている流域は,人間と生物の生命活動の基本単位である。生物多様性研究プロジェクト多様性機能研究チームでは,流域の生物多様性と生態系機能の働きとの関係について,科学的な答えを見つけるとともに,流域の様々な人間活動が生物多様性に及ぼす影響と,その生態学的なメカニズムの解明を行う。さらに,現実に急速にいなくなっていく身近な水生生物の生息域を保全するための具体的なシナリオを作ることを5年間の研究使命としている。チームでは,止水域(湖沼や池)と流水域(河川)の双方に研究の場を設定しているが,ここでは前者の研究事例についての紹介を行う。

 お手元に日本の地図があれば兵庫県の地図をみていただきたい。ここには,南西部を中心に4万にもおよぶため池がある。ため池は稲作のための灌漑用水を確保するために人間が築いた人工池で,古いものでは弥生時代の稲作の開始とともに作られてきた。神戸大学角野康郎教授によると,兵庫県に生育する121種の水生植物の内,92種(76%)がため池に生息し,44種がため池にしかみられない。そのため,ため池はこの地域の水辺の生物多様性を支える重要な環境と位置付けられる。しかし,ため池も近年はダムや導水の整備,高齢化・減反政策・兼業化などに伴う農業形態の変化,それらに伴う水需要の変化,都市化,スポーツフィッシングや珍しいペットや観葉植物の飼育など生き物を対象とした新しいレジャーに伴うルール整備の遅れなどの影響を受け,埋め立て,コンクリートによる護岸化整備,集水域の住宅化に伴う生活排水の混入による水質汚濁,外来生物(ヌートリア,ブラックバス,ブルーギル,タイワンドジョウ,タイリクバラタナゴ,ミシシッピ-アカミミガメ,アメリカザリガニ,ウシガエル,ボタンウキクサ,ホテイアオイ,コカナダモ,オオフサモなど)の侵入,希少種の乱獲などにより,従来からこの地域に生きてきた生物種の絶滅や生物多様性の減少が危惧される状況にある。

 私たちは,2001年の春,兵庫県南西部において周辺の土地利用と池内の水生植物群落の異なる35カ所のため池を選んで,それらと水生生物の多様性との関係について調査を開始した。現在,豊かな生物相を保証するような環境の質と量を見つけるための作業を行っている。図1は,一年間のトンボ成虫のセンサスデータから,最もトンボの種類数が多い池と反対に少ない池の空中写真を比較したものである。豊富な池では,一年を通して約30種類,約300個体のトンボが確認できた。一方,貧弱な池では6種類,10個体前後しか認められなかった。種類が豊富な池では周辺に森林がある。さらに,池の中に水生植物群落が存在する。中でも,トンボの種数はヨシやガマのような抽水植物群落の面積とその種類数に高い相関を示した。一方,貧弱な池は住宅地と水田の中にあり,池の周囲はコンクリート護岸が施され,池には植生がなく,かつ富栄養化していた。トンボの種類数は,池を中心とした半径5kmまでの住宅地・市街地面積と水田面積の双方に負の相関を示したが,半径10kmまでに広げると両者との関係は希薄になった。

図1
図1 左:トンボの種類数が多いため池の景観、右:トンボの種類数が少ないため池の景観

 次に,植物プランクトンについてみてみよう。アオコが大発生するための必要条件は水中の窒素・リンの濃度が高いことである。が,逆は必ずしも真ではない。図2は富栄養化が進んだ池にもかかわらず,アオコの発生がない池の空中写真である。アオコが発生する池と決定的に異なるのは,水生植物群落の存在であり,草ぼうぼうの自然の岸辺であることがわかる。植物プランクトンの種構成は,池内に水生生物の植生が占める面積よりも,池に存在する全水生植物の種類数や,葉を上空に出す抽水,葉を水面に浮かべる浮葉,葉は水中にある沈水といったタイプの異なる水生植物をいくつ持つか,その数とより高い相関を示した。

池の写真
図2 素・リンの濃度が高くてもアオコが発生しない池の景観

 ため池を研究対象にして生物多様性の研究に取り組もうと考えたのは,人と自然の共生に深く関係したフィールドであることと,環境の異なる多くのため池を選ぶことができるという点であった。一方,現在の日本の浅い湖沼は,ここ20~30年の治水・利水の優先で湖内の植生をかなり失ってしまったため,植生の喪失と回復による水質・生物多様性・生態系への影響評価が困難である。しかし,この点はため池の研究を通して評価できるのではないか。さらに,池のサイズは生物が利用できる資源量,食うー食われるの関係,撹乱の影響の大きさなどを制約する重要な要因になるので,小さなため池を加えた研究が,止水域全般の生態学の深化に大きく貢献できるのではないかと考えている。

 多様性機能研究チームは,専属研究者が2名,NIESポスドクフェローが1名の少数であるが,兵庫県人と自然の博物館,神戸大学,神戸市教育委員会,茨城大学,酪農学園大学,北海道環境科学研究センターなど外部からの客員研究者の方々の協力を得て実施していることを,感謝の意も込めて付け加えておく。

(たかむら のりこ,生物多様性研究プロジェクト総合研究官)

執筆者プロフィール

新しいフィールドであるため池に「はまって」調査をするうちに,なんだかすっかり「はまって」しまった。人間が自然環境になすことはマイナスしかないと考えていたが,人間が作り育てた豊かな自然環境がここにはある。京都府八幡市出身,今,愛するものベスト3は,1)夫と息子(不動の定位置) 2)湖沼。特に十和田湖とやっぱり霞ケ浦 3)米朝・枝雀の落語。