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大橋 敏行

 テレビを見ていたら,あるコーヒー会社のコマーシャルが目に入った。人気オペラ歌手が演ずる王子が,つくられた像のような姫の手にキッスをすると,みるみるからだに赤味がさし,人間に変身してしまう。プッチーニのトゥーランドットというオペラのクライマックスのシーンだ。心に深い傷を負った美貌の姫の心は,氷のように冷たい。幾多の求婚者に3つの謎を与え,解けないと処刑し,それを喜びとしてきた。ある若者が,姫のあまりの美しさに恋をし,求婚をする。与えられた難題を解くが,姫の心はなぜか拒絶する。しかし,若者を恋してきた召使いの壮絶的な死によって,姫は人を愛するということを知り,恋する若者の情熱により,やがて感動的な場面を迎える。

 日本にも「一念 天に通ず」という諺があるように,世界に共有される夢のある話なのであろう。目標を定め邁進する,そして挫けそうになれば励まし,自らを高めて行く。また,教育現場でこども達に対して,少し先の目標を与え,それに向かって進ませる。やればできると思い込ませることによって本人の意識を改革し,事を成し遂げることができるようになる。このことを心理学の世界では,「ピグマリオン効果」というのだそうだ。

 研究所に再び勤務するようになって,9ヵ月になろうとしている。前は,研究企画官という立場で国立公害研究所の組織替えに携わっていた時期であったので,当時と比較してどうですかという質問をよく受ける。活力がなくなったとかポテンシャルが下がったとか聞く。当時は,高いポテンシャルを維持し,楽しく研究が行われていたのであろうか。やはり同じようなことが,課題になっていたように思う。言えることは,年齢が総じて高くなり,若さがなくなった。それに予算と課題メニューは豊富になったが,伴って人が増えていない。そのため限られた人で,地球環境研究の領域までをもカバーしようとしているから無理が生じている。

 さらに当時は,研究課題の採択基準や研究評価について方針が定まっておらず,常に議論の対象となっていた。現在では,奨励研究や特別研究については,計画時や中間,終了時等に点数も交えて評価している。他の国立研究機関では数少なく先導的な評価法のようだ。これをうまく活用し,積極的に課題提案や発表を行う人がでて,評価を受けるようになった。しかし,この評価法は積極的にトライする人に対しては評価しているが,そうでない人の評価はどうなっているのだろうか。そのため,さめた目で見ている人もおり,傾ける情熱の格差が拡がりつつある。学問として評価し難い行政への貢献や研究支援的業務などについても,適正な評価基準を持ち,研究所として評価すべきという声もある。評価といっても,一つの物差しで測れるものではないところがあり,その狭間で泣いている人もいる。でもこのような研究者には,「環境研究のために」という情熱を失ってほしくない。また一方で基礎研究という名の下に,「のんびりと研究が続けられればいい」といった意識に陥ってしまっている人はいないだろうか。

 固定化しつつある要員のなかでいかに活性を上げ,ポテンシャルを維持して行くかが,今後の課題となりつつある。そのためには,研究グループは内部のまとまりや協力関係が大切であり,また研究者自身も,自分の研究に自信を持ち,成果をどしどし発表する意欲を持ち続けることが必要であろう。それらは,研究者に課せられた義務でもある。

 良い意味で,「ピグマリオン効果」を期待し,その適正な評価とケアを実行しなければならない。


(おおはし としゆき,環境情報センター長)