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環境ストレスと植物の脂質代謝

榊 剛

 生体成分の中に、脂質と呼ばれる一群の疎水性物質がある。植物種子に多量に存在し、食用油として利用される中性脂質(トリアシルグリセロール、TAG)も脂質の一種であり、発芽に必要なエネルギーの源として蓄えられている。一方、リン脂質、糖脂質などに分類される脂質は、細胞内の様々な膜構造を形成している膜脂質であり、細胞の生命活動に必須の成分である。また、これらの膜脂質は、温度や光などの環境条件の変化に応じて、その組成や構造を変化させ、植物の環境適応機構の一役も担っている。

 私たちは、大気汚染ガス、酸性雨、乾燥などの環境ストレスが、植物の脂質に与える影響について研究を行っている。ここでは、大気汚染ガスの中から、光化学オキシダントの主成分であるオゾンを取り上げ、植物脂質に及ぼす影響について、私たちが明らかにしてきた研究成果を紹介する。

 温室内で植物をオゾンに曝すと、数時間を経て葉はしおれ始め、最終的に枯死するが、その初期に葉細胞内の葉緑体の膜脂質(糖脂質)が著しく減少し、代わってTAGが増加することを見いだした。これらの脂質は、いずれも同種の脂肪酸を結合していたことから、減少した糖脂質の脂肪酸がTAGに移行したものと思われた。そこで、種々の生化学的手法を用いて、この脂質変化を詳しく調べたところ、図に示すような反応がオゾンによって進行していることをつきとめた。

 すなわち、オゾンは、まずガラクトリパーゼという葉緑体内の酵素の活性を著しく上昇させることが分かった。その結果、ガラクトリパーセは膜に存在する糖脂質に次々に作用して脂肪酸を切り離し、脂質を分解し始める。この切り離された脂肪酸(遊離脂肪酸)には毒性があり、光合成などの生理機能を阻害するので、これが、オゾン傷害の一つの要因になっていると考えられる。一方、植物細胞には、遊離脂肪酸からTAGを合成する代謝反応が備わっており、この反応が強力に作動して遊離脂肪酸を除去し解毒するとともに、TAGが著しく蓄積したものと考えられる。しかしながら、傷害がさらに進行すると、膜脂質の減少が許容限度を越え、また遊離脂肪酸の解毒代謝もままならずに、死に至るものと考えられる。

 以上が、私たちの研究から明らかになった、オゾンによる脂質変化の筋道である。現在、これらの知見の応用として、次のようなことを考えている。一つは、もしガラクトリパーゼ活性を欠損する植物が得られれば、あるいは、オゾンがガラクトリパーゼを活性化する機構を抑えてやれば、植物のオゾン傷害が軽減されるのではないかという期待である。遺伝子工学的手法を用いれば、ガラクトリパーゼ欠損植物を作出することは十分に可能である。

 もう一つは、TAGなどの脂質成分を測定することで、野外植物のオゾン傷害を診断できないかということである。そのためには、まず、上記の脂質変化がオゾン特有の現象かどうかを明らかにする必要があり、さらに多くの研究が必要となろう。

 将来、ここに紹介したような植物の生理反応を用いて、オゾンのみならず、我々を取り巻く多種多様な環境の変化を正確に評価できるモニタリング手法を確立したいと考えている。

(さかき たけし、生物圏環境部分子生物学研究室)

図  オゾンによる植物傷害とその解毒機構