(16) 北西太平洋の海洋生物化学過程の時系列観測
〔区分名〕戦略基礎
〔研究課題コード〕9702KB154
〔重点特別研究プロジェクト名,政策対応型調査・研究名〕
V.1.1.1 炭素循環と吸収源変動要因の解明
〔担当者〕野尻幸宏(地球温暖化の影響評価他対策効果プロジェクトチーム)・横内陽子・今井圭理・藤井賢彦
〔期 間〕平成9〜14年度(1997〜2002年度)
〔目 的〕海洋は人為起源二酸化炭素の吸収源として働いているが,その吸収が将来どう変動するか予測することがきわめて重要である。予測モデルの確立には,現在の海洋炭素循環を正確に記述する観測・プロセス研究を行う必要がある。表層海洋で季節変化を伴って起こる現象を的確に明らかにするには,外洋域での定点時系列観測が有益な情報を与えるので,本研究課題では,北西太平洋亜寒帯域定点で繰り返し観測を行い,データ解析とモデル化から,その炭素循環プロセスを明らかにすることを目的とする。海洋定点観測で,海水中の化学成分の濃度季節変動と生物生産季節変動を明らかにし,海洋生物生産と関連した炭素循環プロセスを正確に記述するとともに,物理・化学・生物現象を結合したモデルでそのプロセスを理解することを目標とする。
〔内容および成果〕
1998年から2000年の3年間を集中観測期間として,北緯44度,東経155度の観測定点KNOT(Kyodo
North pacific Ocean Time series)において海洋生物化学の精密なデータを得た。本年は,そのデータの解析から,海洋生物生産と関連する炭素循環プロセスを正確に記述する研究を行った。さらに,生態系モデルすなわち物理・化学・生物現象を結合したモデルを,この観測定点を含む北太平洋海域にあてはめ,海域によって起こる炭素循環プロセスの違いを明らかにする研究を行った。また,時系列観測定点に近い海域で行われた海洋鉄散布実験に参加し,鉄のような微量栄養塩と海洋生物生産の関連を明らかにする研究を行った。
観測定点KNOTでの水温・塩分変化は主に100m以浅で起こる。水温は8月に15℃に達し表層混合層深度が10m程度となり,外洋域として著しく浅くなる。10月からは表面水温が低下し,混合層深度が増し始める。2月には水温は2℃,混合層深度は100mに達する。水深100mには水温1-2℃の水温極小(中冷水)が存在する。これは冬季の冷却・鉛直混合の名残である。表層混合層平均の溶存無機炭酸濃度(DIC)は2000年2月に極大を示し,1998年および1999年の3月に極小を示した。1999年の年間振幅は107μmol/kgに達した。これは,世界の主要海洋時系列観測点の中で最も大きい振幅であり,西部北太平洋の新生産の大きさを示す。一方アルカリ度は,春季から夏季にかけてわずかに増加,その後減少するが,硝酸で補正した変動は5μmol/kg以下であった。このことは,アルカリ度変化のほとんどが有機物の生成・分解によるもので,炭酸カルシウムの生成・分解の寄与が少ないことを示している。
KNOT表面海水のCO2分圧(fCO2)は6月から12月まで大気より低く,この間はCO2の吸収域となっていた。KNOTでは水温の変化も大きく,夏にfCO2を上昇させる方向に作用するが,この温度効果を上回るDIC減少があるため,fCO2は6月から10月まで300〜340μatmで推移する。10月以降は鉛直混合が活発になり,下層のDIC濃度の高い海水が表層にもたらされ,温度低下の効果を上回ってfCO2が上昇し,冬季は放出域となる。風速の気候値とガス交換速度から大気海洋間のCO2交換量を求めると,6月から8月は風速が比較的小さいため約50mgC/m2/dayの吸収速度であったが,10月には風速が強くなり始めることから吸収速度が増大し,150mgC/m2/dayに達した。その後風速は強くなるがfCO2も大気に近づくため吸収量は減少,2月には放出に転じる。
水深100mの温度極小層の海水が持つ栄養塩およびDIC濃度を冬季の初期値として,それ以浅の栄養塩および全炭酸の減少から期間の新生産量を見積もることができる。栄養塩の減少分にレッドフィールド比(海洋生物が固定するC:N:Pのモル比)をかけて炭素換算とした。DICから見積もった新生産量は夏から秋にかけて栄養塩から見積もった新生産量を下回るが,これは海域が大気からCO2を吸収するため,見かけ上減り分が少ないためである。5月から6月にかけての新生産速度は最も高く,600mgC/m2/dayに達した。6月から10月にかけては1998,1999年ともに約250mgC/m2/dayで推移した。これらの値は基礎生産速度に非常に近い値であった。これは,この期間に限っては表層の基礎生産に占める再生生産の割合が非常に小さいことを示し,植物プランクトンに同化された炭素の効率よい下方への輸送を意味する。
定点KNOTの生物活動の季節的変化に関するデータの解析と関連データとの比較から,動植物プランクトン現存量,植物プランクトンによる基礎生産速度および植物プランクトン種組成の季節変化について,全体像が明らかとなった。植物プランクトンの生物量の指標であるクロロフィルa量の鉛直分布は,春から秋にかけては表層から水深40m層の深度(有光層)に集中して存在していた(1.0-0.5mgChl-a/m3程度)。しかし,冬季には混合層全体に均一な分布となり,2月には80m深度まで0.5mgChl-a/m3を上回る値となった。有光層内の積算クロロフィルa量は,5月から6月初旬に他の時期よりも若干高くなることを除くと,20-40mgChl-a/m2程度の一定値を示し,生産速度が小さい冬季にも減少しないことが新しい知見であった。
植物プランクトン群集による基礎生産速度の鉛直積算量は,5月に最高値を示した後急激に減少し,8月あるいは10月にわずかながら上昇することがあるにしても,一般的には冬に向かって減少する傾向を示した。基礎生産速度の実測値は春季(5月),夏季(6−8月),秋季(10−11月)および冬季(12-2月)のそれぞれの季節においてそれぞれ517〜535,153〜304,101〜307,23〜95mgC/m2/dayの範囲であった。季節平均値はそれぞれ526,227,73および48mgC/m2/dayであり,年間の植物プランクトン群集による炭素固定量として,89gC/m2/yが算出された。また,鉛直的な基礎生産速度分布を見ると,表層から水深20〜30m層でその水柱全体の基礎生産速度の70〜80%を占めており,他の海洋時系列観測点と比べて浅い深度に植物プランクトン群集生産が限られていることがわかった。
5月には,細胞サイズ10μm以上の画分の植物プランクトンがクロロフィルa量に占める割合が増加し,顕微鏡観察および細胞数計数でも大型珪藻類の寄与(優占種としてChaetoceros
concavicornis, Corethon criophilum)が大きくなることが示された。一方,ノルパックネットによって水深150mから鉛直採取された大型動物プランクトン群集は,夏季あるいは秋季に比べて冬季に減少することがわかり,それらの植物プランクトン群集に対する摂餌圧が減少する。
植物プランクトン基礎生産速度の季節変化の大まかな変化は日照時間の季節変化とよく似ており,季節変化に光量変化が重要であることが示唆された。一方,海水温との関係は整合的でなく,冬季の低い生産速度を説明できても,低水温期である春季の高い水柱積算基礎生産速度を説明できない。また,8月には,表層の体積あたりの基礎生産速度は最高値となるにもかかわらず,混合層が極めて浅くなり,植物プランクトン群集の生産層が同時に浅くなって,水柱積算量は大きくならない。また,特定の季節あるいは季節の移行時には,特徴的ないくつかの変化が確認できた。第一は春から夏に向かって急激に生物量および基礎生産速度が減少する点,第二は晩夏および秋季に基礎生産速度が上昇する点,第三は冬季に基礎生産速度が極めて低くなるにもかかわらず生物量が保持される点である。第一の点に関しては微量金属元素,特に鉄の欠乏がその原因として考えられる。2001年7月の西部北太平洋における鉄散布実験では,海洋に可溶態の鉄を供給することで植物プランクトンの現存量が約20倍,有光層積算基礎生産速度が約5倍に増加した。このことは,海域が夏季に鉄欠乏状態にあることの証明でもあった。春季の生物生産の高まりの後,主要栄養塩類は枯渇に至らないながらも微量金属が欠乏することで植物プランクトン基礎生産速度が急激に減少し,現存量が低下すると考えられる。第二の点では,10月頃に始まる冷却と海洋鉛直混合によって下層から供給される栄養塩類の効果が示唆される。第三の点では,希釈培養法の結果から植物プランクトンの活性が冬に小さくなる一方で微小動物プランクトン群集の活動も同様に停止していることがわかり,摂餌圧をうけなくなった植物プランクトンがわずかながらの生長ではあっても水柱に保存されるということが考えれた。
気候変動に対する海洋生態系の応答,また生態系に連動した物質循環のメカニズムを定量的に把握する目的で海洋生態系モデルの研究を,定点KNOTの観測データを利用して行った。本研究では15コンパートメント海洋生態系モデルを用いてKNOTでの物質循環の再現を目指した。このモデルでは植物プランクトンは珪藻,非珪藻小型植物プランクトンの2種,動物プランクトンは小型動物プランクトン,カイアシ類,オキアミ類の3種に分類される。風速,日射量,表層水温,表層塩分を与え,十分なスピンアップ後,1982年から1999年までの18年間の結果を解析した。モデルは当該海域における物理過程および生物化学過程の大きな季節振幅をおおむね現実的に再現した。また,季節変動に対する年々変動幅は年間最大混合層深度では45%,表層栄養塩濃度やカラム積算クロロフィル量の年間最大値では25から35%に相当した。混合層深度の年間最大値,表層栄養塩濃度の年間最大値と年平均基礎生産量の間には正の相関が見られた。このことは,混合層深度の年間最大値の年々変動が分かれば,観測が比較的困難である生物化学過程の年々変動を大まかに推定することが可能であることを示唆している。
さらに,観測年度である,1998,1999年両年のシュミレーションを行い,観測データがない3〜4月の鉛直混合がその後の表層の生物生産に与える効果を中心に検討を行った。これによると,1998年と1999年では,春季の植物プランクトン生産が高まる時期が異なり,表層水の成層化の時期との関係があることが示唆された。また,年々の気象データとモデルの組み合わせから,風速の強化,混合層深度の発達,海面水温や日射量の低下などを引き起こす低気圧の通過が生態系変動を強く引き起こすことが示唆された。
〔備 考〕
共同研究者:角皆静男・岸 道郎(北海道大学)・加藤義久(東海大学)
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