(12) 海水中微量元素である鉄濃度調節による海洋二酸化炭素吸収機能の強化と海洋生態系への影響に関する研究
〔区分名〕環境-地球推進 B-57
〔研究課題コード〕0103BA153
〔重点特別研究プロジェクト名,政策対応型調査・研究名〕
V.1.1.1 炭素循環と吸収源変動要因の解明
〔担当者〕野尻幸宏(地球温暖化の影響評価と対策効果プロジェクトグループ)・横内陽子・今井圭理・藤井賢彦
〔期 間〕平成13〜15年度(2001〜2003年度)
〔目 的〕海洋は大気中に放出された人為起源二酸化炭素の吸収源として働いているが,海域によってはその吸収能が微量栄養塩の不足で規定されている。北太平洋高緯度海域もその一つであり,最も不足が起こりやすい鉄を散布することで二酸化炭素吸収能が増強されると考えられる。将来,温暖化対策として大規模な海洋鉄散布が行われる可能性があるので,その対策技術が海洋環境・海洋生態系へ与える影響を事前に明らかにすることが必要である。そのため,中規模(メソスケール)の鉄濃度調節実験をこの海域で行う。メソスケール実験は,海洋をバックで仕切るエンクロジャー規模実験より大きく,10km四方程度の鉄添加海域を作る実海洋実験であり,周辺海域に長期的影響を及ぼさない規模の実験である。本研究所の研究グループは,鉄濃度調節実験で起こる海水炭酸系の変化・炭素固定と生物生産の関係の研究を分担する。
〔内容および成果〕
PICES(北太平洋の海洋科学に関する政府間機構)のもとで,国際共同研究として,海洋鉄肥沃化に関する共同実験計画が提案され,日本とカナダが中心となって,実行に移されることとなった。この課題では,本年度に,北西太平洋亜寒帯海域において,国内共同実験として海洋鉄散布実験を行い,次年度に,アラスカ湾海域で同様な国際共同実験を行うことを計画して,研究を進めた。
北太平洋亜寒帯海域は,冬季の海洋の鉛直混合により主要な栄養塩である硝酸,リン酸,ケイ酸の濃度が非常に高くなる海域である。3〜4月頃にその最大値を示すが,春から夏にかけては表層の昇温で密度成層化が進み,海洋表層で植物プランクトンが生育することによって海水中の無機炭素と栄養塩が固定され,表層水の栄養塩濃度が低下してゆく。条件のよい海洋では,これら栄養塩濃度はほとんどゼロに近くなるまで低下するのであるが,北太平洋亜寒帯海域の広い範囲では,9月頃の最低濃度の時期でも枯渇状態にならず,他の何らかの植物プランクトン生育条件が満たされていないことが知られていた。
このような海域は,HNLC (High Nutirent
Low Chrolophyll:栄養塩が高いにもかかわらず植物量が少ない)海域と呼ばれ,そのような状況を呈する原因として,日射の不足,動物プランクトンによる捕食の大きさなど,いろいろな説が提唱され,従来から議論となっていた。最近のことであるが,HNLC海域の原因としての鉄不足仮説に対し,1990年代になってからは,実験的な証拠が与えられるようになってきた。そのため,このような海域に鉄を加えることが植物プランクトンの成長を促進し,海水中の溶存無機炭酸の固定を増強することで,ひいては大気中の二酸化炭素の吸収を起こすという操作が,現実にありうると考えられるようになった。これは,海洋に人為起源で放出された二酸化炭素を貯留する温暖化対策技術の一つと考えられている。
広大なHNLC海域は,北太平洋亜寒帯のほかに,東部赤道太平洋,南極海の3ヵ所である。1993年に,米国が中心となり,HNLC海域の一つである東部赤道太平洋海域で,海洋の鉄に対する応答を確認する中規模実験が始めて行われ,その後,2001年までに東部赤道海域で2回,南極海で2回の実験が行われた。本研究課題による実験は,2001年7〜8月に,水産庁研究船「開洋丸」の航海において,北緯48.5度,東経165度の北西太平洋亜寒帯海域で行われた。これは,未実験のHNLC海域である北太平洋亜寒帯海域における最初の実験となった。
中規模の海洋鉄散布実験においては,数km四方に鉄の溶液を散布し,周辺海域との植物プランクトン量の差,海水二酸化炭素濃度の差,粒子沈降量の差などを確認し,その比較から散布効果を解析するので,周辺海域が均一である場所で実験を行うことが必要である。そのため,事前調査として,物理化学測定で海域の均一性,HNLCとしての状況の確認を東経165度南北線で北緯51度から南下しつつ行った。その結果,北緯50度から北緯47.5度にかけてが,亜寒帯循環域といわれる表面温度塩分がほぼ均一な海域であり,そのうち49度以南で植物プランクトン量が比較的少なく,主要栄養塩が豊富に余っていることが分かり,48.5度という散布海域を決定した。また,海域の鉄濃度は,植物プランクトンに対する鉄制限を起こすと考えられる0.1nMより低い濃度で,その濃度変動も小さいものであった。
本研究所研究グループでは,海洋表層二酸化炭素分圧測定,栄養塩測定,植物プランクトンの一次生産測定,漂流セディメントトラップによる粒子沈降量測定,沈降粒子の化学成分測定を分担し,解析に必要な化学データを得た。実際の鉄の散布は,7月18〜19日に開洋丸で行った。硫酸第一鉄の海水溶液と六フッ化硫黄(SF6)飽和海水溶液を混合し,表層海水に注入して,8×
10kmの大きさの鉄濃度を高めた海域を作る作業を行った。散布された鉄の総量は370kgであった。海水に加えられた第一鉄の大部分は速やかに酸化されて粒子状となって沈殿するので,化学反応しないトレーサー物質であるSF6を散布海水に加えることは,実験期間最後まで散布海水としての証拠を残すことになる。その結果,散布3日後の7月21日に蛍光センサーで植物プランクトンの活性増加が始めて確認され,5日後の7月23日には,表層二酸化炭素分圧の測定値の低下から,植物プランクトン量の増加と無機炭素の固定が明らかになった。散布12日後には,植物プランクトン量は,沿岸海洋の値といえる20μg/Lまでその濃度が増加し,二酸化炭素分圧も226μatmという,この種の実験における最低値を示した。
鉄散布による海洋の二酸化炭素の貯留効果を議論するには,冬季の鉛直混合が及ばない深度にまで粒子状炭素が輸送されたかどうかが問題となる。そこで,漂流セディメントトラップ実験を担当し,結果を解析した。表層海水の全炭酸の減少量と大気からのガス交換による供給量から,海水中から除去された無機炭素量が推定され,実験期間中で1.3モル/m2であった。それに対し,観測期間末に海水中に存在する粒子状有機炭素量と溶存有機炭素量の和を求めたところ1.08モル/m2であった。一方,漂流セディメントトラップで測定された鉛直有機炭素輸送量は水深60m面を基準として0.17モル/m2であった。このことから,観測期間末に表層水中に存在する有機炭素と鉛直輸送された有機炭素の和の量が,固定された無機炭素の量とつりあっていて,測定に矛盾がないことが分かった。従って,鉄散布から約2週間の追跡観測期間に限って言えば,植物プランクトンに固定された炭素が,冬季の混合層より深い深度まで輸送されていないことを示す。
これは,以前の赤道や南極海域での鉄散布実験で得られた結果と近いものであり,鉄散布は顕著な植物プランクトン量増加をもたらしはするものの,冬季混合層以深への輸送量が速やかに高まるものではないことが明らかになった。このことは,鉄散布の二酸化炭素吸収増加対策としての効果に疑いをもたらすものであるが,固定された有機炭素が観測期間以降に表層海洋で分解され無機炭素に戻るのか,あるいは,観測期間以降に大きな鉛直輸送フラックスを示すのかが重要なポイントであり,より長い追跡観測が必要なことが明らかとなった。
結果的に,北西太平洋亜寒帯海域における今回の鉄散布実験は,海洋の二酸化炭素分圧低下量,植物プランクトン増加量として,従来からの鉄散布実験の中で最大の大きさを示し,この海域が鉄制限であり,植物プランクトン増加の大きな容量があることが明らかとなった。2002年に予定されている日加合同のアラスカ湾における実験では,より長期追跡が予定されていて,鉛直輸送量に関するより明瞭な実験結果を得ることを目標とした準備を行っている。
〔備 考〕
研究代表者:津田 敦(水産総合研究センター北海道区水産研究所)
共同研究者:武田重信(東京大学)
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