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2012年7月31日

干潟の大切さを考える

Summary

桜田へ鶴(たづ)鳴きわたる年魚市潟(あゆちがた)潮干(しおひ)にけらし鶴鳴きわたる
(高市黒人:万葉集)

干潟は「満ち潮時には水面下にあり、潮が引くと軟らかい砂や泥が顔を出す場所」です。
最近、干潟の保全や重要性が叫ばれていますが、干潟の何が重要で、保全に値するのでしょうか?
その重要性を、これまで私たちが進めてきた研究プロジェクトと絡めて紹介します。

1.水質を健康に保つのに大切なこと

 図7aに示したような海を考えてみましょう。これは東京湾でも良いし、有明海でもかまいません。外洋につながる内湾には川が注ぎ、干潟が広がっています。内湾に生息する植物プランクトンは川から内湾に注がれる栄養塩(窒素やリン)を肥料にして、光のエネルギーと二酸化炭素を用いて体物質(有機物)を合成し増殖を行ないます(図7b)。増殖した植物プランクトンのかなりの部分は沈降して内湾の海底に供給され、一部はそこに住む底生生物(例えばナマコ)の餌になります。残りの有機物はバクテリアによって分解されるのですが、このとき海水中の酸素が消費されます。

 海底に供給される有機物の量(F:図7b)が「そこそこ」の場合は、酸素消費量もそこそこで、水中の酸素濃度は底生生物が生きてゆくのに問題のないレベルに保たれます。ところが、川から供給される肥料が増加(富栄養化)すると、海水中の植物プランクトンの量(B)が増え、これに伴ってFも増加します。こうなると海底近くでのバクテリアによる酸素消費量は増大し、酸素濃度は著しく減少して、底生生物の生息が困難になってきます。これは、不健康な海の状態と言えるでしょう。

 さて、干潟の登場です。内湾の植物プランクトンは海底に有機物を供給すると同時に、上げ潮に伴って、干潟にも有機物を供給します。干潟には二枚貝に代表される「濾過食者」と呼ばれる生物がたくさんいて、体内のえらで植物プランクトンをこし取り、餌として利用しています。そして、彼らが取り込む植物プランクトンの有機物量(G:図7b)が大きくなればなるほどBは抑えられ、その結果、Fも小さくなります。つまり、干潟の生物は、BひいてはFを抑えることで、海水の貧酸素化を抑制する働きをしています。これが「水を健康に保つ」干潟の働きです。

図7
図7 干潟を含む内湾域のイメージ
(a)河川-内湾-外洋のつながり。
(b)内湾で生産される植物プランクトンの運命。海底に沈降する量(F)が多すぎると酸素の少ない水が底にたまる(貧酸素化)。干潟の生物が植物プランクトンをたくさん食べること(G)でFが小さくなり貧酸素化を防げる。

 しかし、ここで「内湾の海底にすむ二枚貝だって、植物プランクトンを濾過するのだから、水を健康に保つ作用(浄化能力)は同じではないか。少し干潟の重要性が強調されすぎてはいないか?」という疑問が生じます。この問いには次のように答えることができます。すなわち、干潟は浅く、大気から酸素が十分供給されます。したがって、干潟にたくさんの生物がゴロゴロとひしめき合っても酸素不足にはなりません。これに対し、内湾の底生生物が干潟のような密度でひしめいている場合には、自分たちの呼吸によってアッという間に酸素不足に陥ってしまいます。したがって、内湾に生息する底生生物は、干潟ほど高密度になれないのです。こうして、干潟は内湾の海底に比べて高い浄化能力を持ち、海水を健康に保つ働きを果たしているわけです。

 私たちは1990年代の後半から東京湾・伊勢湾・有明海などで、FやGを求めるための調査・実験を行ってきました。さらに、こうしたデータをもとに、内湾に注ぐ栄養塩の量・内湾と外洋の海水交換・干潟の大きさ・内湾の流れなどを考慮したコンピュータシミュレーションを行ない、干潟が海を健康に保つ役割を評価しています。結論は、「干潟は海水を健康に保つ上でやはり重要」なのです。

2.餌場として大切なこと

 干潟には、砂泥粒子の表面に付着して繁茂する「底生微細藻類」(大きさは植物プランクトンと同程度)がたくさんいます。こうした豊富な餌を利用することで、干潟上にはゴカイなどの「堆積物食者」が高密度で生息できるようになります(図8a)。また、二枚貝などの「濾過食者」も水中の植物プランクトンを利用しながら繁殖し、干潟上に植物食性の動物が多量に生息するようになります(図8a)。こうした状況の下では、豊富なゴカイや二枚貝をめがけて鳥が押し寄せ、冒頭歌に示されたような状況が出現します。とくに、シギ・チドリなどの渡り鳥は、渡りの中継地がほぼ干潟に限られるため、彼らにとって餌の豊かな干潟は必要不可欠です。

図8
図8 干潟の食物網
(a)単純化したイメージ図。
(b)実際の「食ったり─食われたり」は複雑。

 また、潮が満ちればカレイなどの稚魚がやってきて、ゴカイの類を飽食します。こうして、干潟の生物はそこにやってくる鳥や魚の餌場として重要な働きをしています。またアサリ・ハマグリなどの貝類が人間の「餌」として重要なのは言うまでもありません。

 これまで、干潟の働きと重要性について、単純化したイメージに基づいて説明を行なってきました。しかし、現実の干潟はもう少し複雑です。例えば、二枚貝は植物プランクトンを食べるとこれまで説明してきましたが、潮の流れで水中に懸濁した底生微細藻類も相当食べることが知られています。また、干潟にはさまざまな巻貝やカニ類なども生息しており、あるものは二枚貝やゴカイなどを食べ、別の種は底生微細藻類を主食としています(図8b)。このように、干潟の「食ったり─食われたり」(食物網)は他の生態系と同様に複雑なのです。そして、「干潟を保全するには食物網をきちんと把握しておくことが重要であろう」という立場に立って、金谷は研究を行なってきました。結論は、「干潟の『食ったり─食われたり』は複雑だ」ということです。

3.好ましい場所として大切なこと

 干潟に立って、満ちくる潮の音を聞いていると血圧が10ポイントは下がる気がします。大きなハマグリに出くわしたときの「やったぁ!」感は、子供時分に大きなフナを釣ったときの感動に匹敵するものです。これらは全て個人的な感想ですが、干潟を「好ましい場所」と考え、保全したいと思う人は多いのではないでしょうか。水路の護岸工事が開始され、フナが釣れなくなったときの悔しさは今でも忘れられません。干潟でこうした悔しさを感じることがないように、保全してゆきたいものです。

 ここで、干潟を好む人に質問をしてみましょう。「かつてアサリがたくさん取れた東京湾のある干潟では、最近ホンビノスガイというアメリカから移入してきた二枚貝が網袋一杯取れます。これに反してアサリは全然取れません。こういう干潟は好ましいですか?」と。「おいしい貝がざくざく取れればそれでOK!」という干潟愛好家には、(ホンビノスはクラムチャウダーの材料になる美味しい貝だから)素敵な干潟と思えるかもしれませんが、筆者(中村)の感じ方は少し異なります。

 つまり、筆者にとっては、東京湾にもともとたくさん生息していたアサリ・ハマグリ・バカガイ・シオフキ・マテガイ・サルボウなどが混じって生きている干潟の方が好ましいのです。どうして好ましいかと問い返されれば返事に窮しますが、あえて言うなら、「東京湾ではアサリ・ハマグリなどのさまざまな貝が生息してきたのが“歴史”ですから」とでも答えておきましょうか…。こうした(筆者にとって)好ましい干潟を復活させたいという思いから、かつては東京湾で卓越し、現在はほぼ消滅したとされるハマグリの色々な性質を調べる研究を6年前から行なっています。結論は「ハマグリのいる干潟は楽しい」ということでしょうか。(中村泰男)

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