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第1セッション「バイカル湖−地球環境変動の歴史を映す魔鏡−」

講演者(高松武次郎)による回答


Q.
 地球史的な環境変動についての話の中で、人の影響や地域的な汚染(バイカル湖自体)については把握されているのでしょうか? また、このような取り組みは日本国内でもされているのでしょうか?

A.
 バイカルドリリングプロジェクト(BDP)で分析してきた堆積物は深さ100〜600mのコアで、再現しようとした環境は数万年〜1000万年前のものです。そのため、BDPでは、人間活動の影響が現れる近年の堆積物は主要な研究対象になっていませんが、これまでに何度か湖全域から採取した表層堆積物の分析も行ってきました。その結果によりますと、バイカル湖も全域が鉛などで汚染されています。しかし、その汚染度は比較的軽く、北欧やカナダの郊外のきれいな湖の1/5程度です。ちなみに、バイカル湖の堆積物表層に蓄積された汚染鉛の総量は4200トンほどになります。また、文献では、排煙由来の炭素粒が湖全域の堆積物で見つかっていますし、PCB、DDT、その他の有機塩素化合物も湖水や堆積物中で検出されています。さらに、バイカルアザラシやその他の水生動物からもかなり高濃度の有機塩素化合物が検出されています。
  また、湖の堆積物を用いて古環境を再現する研究は日本でも既に琵琶湖で行われており、過去数百万年の環境変化が調べられています(堀江正治編、"琵琶湖底深層1400mに秘められた変遷の歴史"、同朋舎、昭和63年発行をご参照下さい)。
 


Q.
 湖底の堆積物から環境変化を推算した結果、年代が最近になるほど周期が短く、振幅が大きくなっています。これは実際、最近の環境変化が短周期となり、その変動(振幅)が大きくなったことだけではなく、古い堆積層の境界が年代とともに不鮮明になったことの影響とは考えられないでしょうか? 堆積層間で含まれる物質が時間とともに拡散していくことにより、堆積層が均一化していくことが考えられるのではないのでしょうか?

A.
 バイカル湖の堆積物コアを調べた結果では(海洋の研究でも同様のことが言われていますが)、70〜80万年前以降、寒冷-温暖の振幅が大きくなり、かつ周期性が明瞭になっています(いわゆる氷期-間氷期サイクルの出現)。これは、パナマ地峡の閉鎖やヒマラヤ山脈が高くなったことなどの地形的な要因とそれにともなう海流の変化などによって、ミランコビッチ周期による日射量変動が気候に反映され易くなったと解釈されています。しかし、100万年前頃に増加した宇宙塵が太陽をドーナツ状に取り巻いており、それが地球の公転軌道と10万年周期で交差するために寒冷-温暖の周期性が明瞭になったとする説(ミューラー仮説)などもあり、結論が出ていないのが現状です。ご質問では、堆積物内で物質の変化や移動(拡散)が起きたために、古い堆積層では周期が不鮮明になったのではないかとのご指摘ですが、その影響は少ないと思います。物質は堆積後も堆積層内で変化したり、移動・蓄積したりしますが(すなわち、続成作用を受けますが)、大きな変化(初期続成作用)は通常堆積層の表面から数十cm位の深さまでで終わります。それ以深でも、圧密による水の移動、微生物作用、地熱による温度上昇などの影響でゆっくりした変化は続きますが、変化を受けるのは有機物や易溶性・易還元性物質などに限られます。70〜80万年前以降の種々の成分の変動幅の増大と周期性の明瞭化は続成作用を受けにくい成分(粒度、帯磁率、カリウムなどの無機成分)にもはっきりと現れていますので、堆積層内での成分の再配分が変動を不鮮明にしたとは考えられません。


Q.
 100年後、CO2濃度の増大により、気温が年平均5℃程度に上昇するといわれていますが、過去のデータ、例えばバイカル湖の堆積物調査などから、将来の地球環境や気候変動を推測できるのでしょうか? できるとしたら、将来の地球環境はどのようになるのでしょうか? 過去の温暖期には生物量が増えていると思いますが、単純に過去の再現とはならないと思いますが、いかがですか?

A.
 我々は、これまでにバイカル湖で採取した最も深い堆積物コア(BDP98、約600mの深さ)の解析から、古環境を約1200万年前まで遡って再現することができました。堆積物中に残っている炭素量から判断しますと、1000万年前以前には、流域と湖内の総生物量は現在の約2倍であったと推定されます。陸上植物はバイオマス量でやはり現在の2倍程度あったと考えられますし、湖内生物量(例えばケイ藻)も現在よりは相当多かったと思われます。また、バイカル湖周辺の植物種も現在とは異なり、1000万年前頃までは、コナラ、ケヤキ、ニレ、エノキ、シイ、タマシデ、クリ、ツガなどの暖温帯性の樹種が優勢でした。従いまして、その頃は現在よりかなり温暖であったことは間違いないのですが、残念ながら当時の気温を推定するには至っていません。過去の様々な環境を当時の気候(気温)と対比させて明らかにすることは我々の最終目標の一つでもあります。しかし、例えそれ(バイカル域での環境と気温の対比)が明らかになったとしても、将来の温暖化で単純に同じことが再現される(昔の環境に戻る)とは思われません。この点はご指摘の通りです。気候は環境を支配する最も重要な因子でありますが、環境はそれ以外にも、地理、地形、水文条件、大気循環、海流などの多くの因子の複合的な作用で決まり、生息する生物自身も環境にフィードバック効果を与えます。そのメカニズムは大変複雑ですが、バイカル研究がその解明に少しでも役立つように努力したいと思います。


Q.
 2〜3年前にロシアの人に聞いたのですが、現在バイカル湖は周囲の工場から出る排水、排気により、深刻な公害が発生していると聞きました。その後の様子はどうなのでしょうか? また、発表されたデータにそれは含まれているのでしょうか?

A.
 バイカル湖の主な汚染源は、近くにある2大都市、すなわち、セレンガ川中流域のウランウデ(人口約40万人)とアンガラ川流域のイルクーツク(人口約65万人)(イルクーツクはバイカルの下流にありますが、大気経由の汚染源になっています)です。また、セレンガ川下流域のセレンジンスクと南湖沿岸のバイカルスクにある2つのパルプ工場も汚染源になっています。これまで湖水、堆積物、湖内の生物などを試料として汚染を調べた報告が幾つかあります。汚染は湖全体に及んでいて、最もきれいな北湖でも、堆積物中には排煙由来の炭素粒子、人為起源の鉛(堆積物中の汚染鉛の量は湖全体で約4200トンです)、DDT、PCB、その他の有機塩素化合物などが検出されています。また湖水やバイカルアザラシなどの生物も有機塩素化合物でかなり汚染されていると言われています。しかし、その程度は日本や欧米の湖に比べればずっと軽度であると言えます。また汚染度は、北湖盆<中央湖盆<南湖盆の順で、最も汚染されている南湖のパルプ工場周辺沿岸部では、PAHs(多環芳香族炭化水素)によるローカルな汚染も報告されています。しかし、その汚染も、バイオアッセイでは生物影響無しと報告されています。なお、バイカルドリリングプロジェクトの研究では、汚染は対象としておりませんので、今回の発表には汚染に関するデータは含まれていません。


Q.
 南北に長いバイカルの気候変動は、コアによってどのくらい違うのでしょうか?

A.
 バイカル湖は南北に細長く、北と南では緯度で約4度の差があり、湖上気温でも年平均で約2℃違います。また、周辺植生も、南部ではシベリアモミ、シベリアトウヒ、シベリアマツ、ヨーロッパアカマツなどを中心とする常緑針葉樹林(タイガ)であり、北部では、ダフリアカラマツを中心に、シベリアマツ、シベリアトウヒ、ハイマツなどを伴う落葉針葉樹林になっています。さらに北には、永久凍土の上にダフリアカラマツの純林が広がっています。従いまして、湖と周辺の環境は南北でかなり異なると言えます。しかし、バイカル湖は細長くて三つの湖盆に分かれているにも拘わらず、湖水は極めて良く混合されています。また、物質の滞留時間が非常に長く、溶存物質の多くは沈殿するのに数十年かかります。そのため、表層堆積物の組成(例えば化学組成)は湖全域で極めて均一です。我々はこれまで南湖盆と中央湖盆の境にあるブグルジェイカ鞍部(BDP93)と中央湖盆と北湖盆の境にあるアカデミシャン湖嶺(BDP96とBDP98)のコア試料を中心に解析を行ってきましたが、それらの結果は湖とその周辺の平均的な環境を表していると考えています。しかし、花粉やケイ藻の殻などの粒状物質は溶存物質より速く沈殿すると考えられますので(実際、排煙由来の炭素粒子は比較的速く沈殿すると言われています)、それらには地域性が現れる可能性があります。今後詳しく検討したいと思います。


Q.
 バイカル湖での調査が地球の寒冷化等を代表するという考え方が少々理解しづらかったのですが、地球全体のトレンドをほぼ表現するのでしょうか?

A.
 発表でも述べましたように、バイカル湖周辺は、ミランコビッチ周期による日射量変動に地理・地形的条件、大気循環の影響、海流の影響などを加味して予測した場合、氷期と間氷期の温度差が地球上で最も大きくなると言われている地域です。温度差は中〜高緯度の大陸内部で大きく(10〜14℃)、沿岸部や海洋上では非常に小さい(数℃以下)と予想されています。バイカル地域は地球全体の気候のトレンドが最も高感度に現れる象徴的な地域と言えます。我々は、バイカル地域が今後数千〜1万年の間は寒冷化し、その間に約6℃低下すると予想しましたが、他の地域での温度低下は多分これより小さくなるでしょう。しかし、これらの予想はあくまでミランコビッチ周期による日射量変動が気候変動のペースメーカーとして働き、その大きな流れが地理、大気、海洋などの諸条件の影響でチューニングされるとした場合の話です。突発的な宇宙変動(宇宙塵の増加など)や地殻変動(大きな火山活動など)があれば、気候は大きな影響を受けると思われます。また、当然のことですが、人間活動による温暖化ガスの放出は上のトレンドを打ち消すほど大きな影響を与えます。


Q.
 地球は0.1℃/100年で寒冷化しているとのことでしたが、温暖化が問題となっているとの指摘と反していないでしょうか? 総生物量の減少傾向とは、生物の活力の低下→消滅の傾向があるということでしょうか?

A.
 地球が0.06〜0.1℃/100年で寒冷化していると述べましたのは、地球の気候が天然因子(ミランコビッチ周期による日射量変動など)のみに支配されるとした場合、すなわち人間活動の影響(温暖化ガスの放出)が無いと仮定した場合のことです。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)では、今後人為汚染の影響で、1.4〜5.8℃/100年で温暖化すると予想していますので、汚染の影響(温暖化)は天然因子による寒冷化より極めて速い速度で進行すると言えます(すなわち温暖化対策が必要と言うことです)。余談になりますが、人類が数千年先にも生存しておれば、その時は天然因子による寒冷化が大いに問題になるかもしれません。
  総生物量は1000万年前頃から減少しており、その減少速度は約300万年前以降加速しています。ここで言う総生物量とは、バイカル湖周辺の陸上植物や湖内プランクトンのバイオマス量のことです(全生物の重さといっても良いと思います)。また、バイカル周辺では、250万年前頃にツガが、140万年前頃にコナラが、そして100万年前頃にはニレが姿を消していますので、寒冷化すれば、また姿を消す樹種があるかもしれません。


Q.
 地球史的に見ると、寒冷化にむかっているという中での近年の地球温暖化をどのようにとらえたらよいでしょうか? 人間や動物のささやかな活動が本当に地球環境を変化させ得るのでしょうか(良い意味でも悪い意味でも)?

A.
 人間活動の影響(温暖化ガスの放出)が無ければ、地球は今後数千〜1万年の間は寒冷化し、バイカル地域では最終的には現在より6℃位気温が低下すると予想されます。しかし、その寒冷化の速度は0.06〜0.1℃/100年で、人為汚染によって起こると予想されている温暖化の速度(1.4〜5.8℃/100年;気候変動に関する政府間パネル [IPCC])に比べると非常にゆっくりしています。実際、過去100年間に気温が日本では約0.9℃、世界では約0.6℃上昇したと言われていますし、バイカル湖近くの都市イルクーツクでも、2℃近く上昇したとも聞いています。このように、自然現象による寒冷化は人為温暖化を補償できるものではありませんので、やはり人為温暖化に対する配慮や対策が必要と思われます。


Q.
 地球温暖化により、バイカル湖の周辺のタイガ地草が森林になり、温暖化に対してフィードバック(CO2の吸収)の効果を発揮するようにはならないのでしょうか(人類の歴史としての4百万年のスケールとは別に考えた上で、あるいは縄文時代などの2万年レベルのスケールとは別に考えた上で)? このようなシミュレーション(シナリオ)の例はありませんでしょうか?

A.
 天文学的因子や地殻変動などの自然現象による寒冷化や温暖化は通常極めてゆっくりしています。我々が今後数千〜1万年間の寒冷化速度を試算した例でも、その速度は高々0.1℃/100年です。この程度の変化速度であれば、樹木などは変化に応じて分布域を拡大したり、縮小したりすることができると思われます。しかし、人為温暖化は極めて速い速度(1.4〜5.8℃/100年;気候変動に関する政府間パネル [IPCC])で起こると予想されていますので、植物がそれに合わせてどの程度分布域を広げたり、バイオマス量を増大させたりすることが出来るのかについては難しい問題だと思います。また、人為温暖化に対し、樹木が二酸化炭素のシンクとしてどの様に応答するかに関するシミュレーションについては情報を持っていません。


Q.
 地球は今、寒冷化しているということですが、人間による温暖化をどの程度打ち消すものなのでしょうか? それともそう簡単に足し引きできないものなのでしょうか?

A.
 地球は現在天然因子(ミランコビッチ周期による日射量変動など)の影響で寒冷化に向かっていますが、その速度は0.06〜0.1℃/100年位です。これに対し、人為汚染(温暖化ガスの放出)による温暖化は1.4〜5.8℃/100年の速度で起こると予想されています(気候変動に関する政府間パネル[IPCC])。自然現象による寒冷化は人為温暖化に比べて極めてゆっくりと進行するので、温暖化を打ち消す効果は殆ど期待できません。


Q.
 情報提供:
 バイカル湖の研究結果の、日本の湖沼、閉塞型湖沼への応用(15年3月橋本龍太郎会長国際会議予定)

A.
 情報のご提供、誠に有り難うございました。


Q.
 最近、バイカル湖を訪ねましたが、バイカルあざらしや魚影の激減が言われていました。比較的過去のことではあるが、USSRの核実験のFall outの状況証拠はありましたか? 放射能Kの分布の変化や漁獲量の減少の原因は、この場合、何でしょうか?

A.
 バイカル湖では溶存物質の滞留時間が極めて長いのが特徴です。例えば、フォールアウトの代表的核種であります137Csの滞留時間は約20年と言われています。そのため、核実験や原子炉事故などで放出された放射性物質が湖に負荷された場合、湖水中に長く止まり、堆積物にはなかなか移行しませんので、その間に別の事件で新たな放射性物質が加わると湖水中で互いに混ざり合ってしまいます。従いまして、バイカル湖堆積物の記録から、短い期間(数年〜数十年)に繰り返された個々の事件を判別するのは非常に困難です。また、バイカル湖の表層堆積物に貯まった放射性核種(例えば137Cs)の総量は0.2Bq/cm2位と報告されています。東京ではこれまでに約0.6 Bq/cm2の137Csが降下したと言われており、例えば、お濠の泥には約0.2Bq/cm2の137Csが検出されています。バイカル湖の場合、負荷された137Csの大部分が湖内で沈殿すると言われていますので、放射性核種による汚染の度合は東京と同等かむしろ低いと考えられます。
  1987-88年にバイカルアザラシの大量死が起こったことはよく知られていますが、その直接原因はジステンバーウイルスであり、生き残ったアザラシの多くはウイルスに対する抗体を保持していると言われています。バイカルアザラシには、かなり高濃度のDDT(5-120μg/g脂肪)やPCB (4-43μg/g脂肪)が食物連鎖によって蓄積していますので、これによる免疫力の低下が間接的な原因ではないかとも考えられています。いずれにしても、近年、バイカル湖生態系に対する人間活動のインパクトが増大しつつありますので、さらに詳しい調査と対策が必要であると思われます。


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